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「日中戦争下の日本」井上寿一

まとめ読み5冊の3冊目です。

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日中戦争下の日本
井上寿一
講談社選書メチェ

(むかしの)日本人をなめてはいけない、徴兵軍人をなめてはいけない。戦場から銃後を作り直そうという発想があった。

陸軍特務機関の役割。諜報、軍政というが軍政の範囲は広い。

やはり銃後の一般国民は情けない、卑怯であろう。いい日本人は、戦場で散った日本人か!

日本陸軍が、陸軍兵士が支那で行ったのは革命であり、改革である。この時点で敗戦国の末路を理解できてた筈、すなわち戦勝後の日本が支那でやろうとしたことを、米国は敗戦国日本で見事な手際で実行して見せた。

永田鉄山らが構想していた高度国防国家の枠組みは昭和13年の国家総動員法で一応の完成を見たが、軍政面では上記のような文化面、占領施策面で手付かずであった。もちろん、国防に徹するならば、不要の話ではあるが。一方で、統帥部は占領および軍政をどう考えていたのか。早晩、軍だけでは手に負えない問題となるであろうに。

永田や石原らが予感していた総力戦とは国家総動員までで、文化的・社会的な方面は考えの外であった。しかるに、北支事変が支那事変となり泥沼化するにつれ、実際にはその方面が重要となってきた、内外ともに。やはり、当時の日本は外征は無理。一撃して国境内に引き返すことが無難であった。

昭和は革命の時代であった。日本を見直す時代であった。つまりは明治体制の行き詰まりを感じていた。

本書で、兵士と一般国民、戦場と銃後の関連はわかるが、そこから政党~社会大衆党にいたるは農民や工員を介してである。いまいち歯痒い感じである。帰還兵の政治的動きはなかったのか?それとも在郷軍人会に吸収され、陸軍の下部に組織されざるを得なかったのか?

日清戦争時の朝鮮に対する考えで支那に向かったーしかし支那のナショナリズムは、理論的にも経済的にも確立されていた。支那に介入すべきではなかった。

時代は志士の時代、思想の時代、革命の時代であった。真剣に日本と支那事変が論じられていた。蓑田胸喜。

本書は、テーマが拡散しているようでもあり、結論が唐突でもあり、主義が傾いているようであるが、全体に良書である。1つ1つのテーマを掘り下げる価値は十分にある。

2008年10月31日

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